郡山市議会 2022-12-06 12月06日-02号
その後の開拓事業に向けて、その25名の青年たちによって開成社が結成されたわけであります。 なかなか利益が出ない中で、岩に爪を立てる思いで事業を推し進めた結果、その思いと成果が政府を動かし、安積疏水の開さく事業、安積開拓につながっていくわけであります。 飲水思源との言葉がございますが、開成社をはじめとする開拓に携わった方々に感謝の思いをはせ、各種事業が進むことを願い、以下、お伺いいたします。
その後の開拓事業に向けて、その25名の青年たちによって開成社が結成されたわけであります。 なかなか利益が出ない中で、岩に爪を立てる思いで事業を推し進めた結果、その思いと成果が政府を動かし、安積疏水の開さく事業、安積開拓につながっていくわけであります。 飲水思源との言葉がございますが、開成社をはじめとする開拓に携わった方々に感謝の思いをはせ、各種事業が進むことを願い、以下、お伺いいたします。
開成山の桜の樹齢調査によると、明治11年当時、開成社がかんがい用のため池である上ノ池、現在の五十鈴湖と開成沼の土手にヤマザクラとソメイヨシノを植栽したとされ、樹齢100年を超えるとされるソメイヨシノはまれであり、日本遺産の魅力をさらに発信できるものであります。
次に、麓山の滝は阿部茂兵衛ら開成社を中心とした有志が地域発展のシンボルとしてつくったもので、石材の大部分は当時のままであり、安積疏水開削事業の構成文化財の中でも中心的な役割を果たしております。しかし現在流れている水は循環水で非常に濁った状態で流れており、安積疏水の水があたかも汚れているような悪い印象を受けます。
出磬山は開成社の所有でしたが、山上の三段歩を中條政恒に贈り、中條政恒はその経営を伊東久右衛門に託しました。伊東久右衛門は中條政恒の人格に敬服していたため、私財を投じ、また有志を説いて松や桜を植え、景勝地としました。有志59名により建立された碑は、横に出磬山碑と刻まれ、その下に7行縦に碑文があり、銘2行、最後に伊東久右衛門の句が彫られています。
他方、福島県の典事、中條政恒が殖産興業の推進に取り組んでいる中、阿部茂兵衛らが開成社を設立し大槻原開拓に取り組み、自力で復興の道を歩み始めました。 明治9年、明治天皇巡幸の際視察に訪れた大久保利通らのご尽力により、安積開拓と安積疏水事業は、国の殖産興業策の事業となりました。明治政府は、オランダ人技術者ファン・ドールンを派遣し、日本初の国営による農業水利事業開発が始まりました。
それには県の開拓いたしました 150戸開拓とか、あるいは開成社開拓、さらに国が行いました 200戸開拓といったようなものがあるわけでございます。それともう1つは最近特に脚光を浴びてまいりました東部地区から発見されております大安場古墳とか、あるいは妙音寺遺跡とか、あるいは正直から出ております古墳など、非常に東部のその古代の歴史が注目を浴びております。
この原動力は、明治6年25人の出資によって開成社が設立され、あらゆる困難を克服して安積疏水を完成させたことは言うまでもありません。 (「そのとおりだ」と呼ぶ者あり) ◆石沢春信君 昭和39年新産都市に指定され、40年に大合併により人口22万人の住む大都市になり、現在は32万人を超える都市となったわけでございます。 そこで、第1番目といたしまして政令指定都市構想についてお伺いをいたします。
このような郡山市の発展は、明治6年に結成された開成社を中心とした開成山一帯の開墾を初めとして、明治15年に猪苗代湖に水源を求めた安積疏水の開削を契機として不毛の土地、安積平野が美田とされたことが今日の郡山市の発展のもととなったのは今さら申し上げるまでもありません。
そのときに、安積開拓発祥の地として開成社にかかわった人々の顕彰をしてほしいとのお話があり、次の二つの条件が示された。建物は旧立岩一郎邸として修復保存する。土地は旧立岩一郎屋敷跡として保存してほしいというものであった。そこで、教育委員会としては開成館との一体化を図った活用方法を計画していきたい。陳情にある文学館の建設には用地が狭隘であり、旧立岩邸を復元し、庭園を整備すると文学館の建設は困難である。